フェアレディZストーリー DATSUN SP/SR&Z / 片山豊・松尾良彦 他共著

フェアレディZ

フェアレディZストーリー DATSUN SP/SR&Z / 片山豊・松尾良彦 他共著

図書館の自動車コーナーで見つけた本です。表紙を見て、35年以上前の小学生だった頃にトリップしてしまいました。

僕の親父は、商業高校を出て、とある運送会社を勤め上げ、今は趣味の盆栽に明け暮れる悠々自適の生活を送っている77歳の老人です。事務職だったので転勤ばっかりで、僕も引越しを6回(小学校は2回転校)し、中学になってからは親父だけが単身赴任や遠距離通勤を続けていました。

そんな親父だったので、僕が小学校にあがる前の写真を見ると、木製のトラックやブリキのバスで遊んでいるものばかり(なぜか自家用車はない)で、本と言えば、自家用車、トラック、ダンプにクレーンまで載った電話帳のようなカタログでした。だから、バスは一番前の席に乗って、実家に着くまで対向車線のクルマの名前を言いつづけてた子供だったと聞いたことがあります。そして、小学5年か6年の時、B4ほどの大きて薄いクルマの雑誌があり、表紙はブルーメタリックのスポーツカーで、カッコいい!って思ったことを強烈に覚えています。だって、その当時のうちのクルマはスズライトで、いとこのうちのパブリカがうらやましく、スポーツカーは本の世界のものでしたから。

で、47歳になった僕はググってみました。その雑誌は オートスポーツ1971年3月号、表紙はダットサン240Z、特集は「240Z、モンテカルロで活躍」、まさにこの本の表紙と同じ240Zです。懐かしい。本当に懐かしい。ついでに、ほかにも懐かしいことをいっぱい思い出してしまいました。

(僕にとってのスーパーカーはLP400じゃなくて240ZGだ



著者の片山豊さんは元米国日産社長、松尾良彦さんは初代Zプロジェクト・チーフデザイナー。

  • 片山 豊: ダットサン240Zはこうして誕生した
    日本の小型車の範疇(はんちゅう)から数歩成長した自動車Zをアメリカ市場に提供して互角に戦ってみたいという、大きな野望に似た夢が、私を支えてくれたのです。それだけに初めから車に対する注文は厳しく、ソフトトップは要らない、4人乗りも要らない、2人乗りのクローズド・タイプだけと断定して、身軽で、とにかく初めは単一車両に絞るという注文を本社には押し通しました。本社からは何回か、駄目を出されましたが、ついに自分の主張でがんばり通してしまいました。
  • 松尾 良彦: 初代Zデザイン開発手記
    Zは私にとって、若く働き盛りの日産時代の仕事の結実である。デザイン開発に際して、市場調査に頼らず私の哲学でコンセプトを作り、デザインもスケッチより1/1モデル中心で展開し、その成立のためにメカや構造上のアイデアまで出した。単なるスタイリストを超えた仕事をした。すなわちZは私が30歳代の時のデザイン思想の集大成であるが、同時に自動車産業におけるデザインの重要性を実証した一例でもあると思う。
  • 1971年フェアレディ240ZG (表紙の写真)
    <1971 Fairlady 240ZG, with 2.4L engine now available in japanese market also and aerodynamic nose corn> 対米輸出に2年遅れて国内でも240Zが発売された。ボア、ストロークともに拡大して2393ccとしたL24エンジンは、150ps/5600rpmえおfsぢ、985kgのノーマル240Zを205km/hまで引張った。写真のZGはこの時にできたグレードで、FRPのノーズコーンとヘッドライトカバー、オーバーフェンダーを持つ。全長は190mmも長く、また25kgも重いが、向上したCd値はそれを補ってあまりあり、Z432と同じ210km/hに達した。

目次

  1. ダットサン240Zはこうして誕生した
  2. フェアレディの軌跡
  3. 初代Zデザイン開発手記
  4. S30型Z国内レースでの活躍
  5. 海外における初代Z
  6. 海外におけるZのコンペティション活動


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