とくバァちゃん

一昨日の早朝、父方・母方で2人ずついる祖父・祖母で最後になる、父方の祖母、とくバァちゃんが亡くなり、昨日がお通夜、今日が葬式でした。97歳の大往生です。

とくバァちゃんは若い頃はすごく苦労をしたようです。5人の男の子を生み、オヤジ(僕の父)は次男で二十歳の時に生んだ子供です。昔の人にしては子供が少ないのは、オヤジが小学校に入るか入らないかの時、貨物飛行機の機関士(操縦士ではないらしい)だったジィちゃんが、飛行中に霧の中で山にぶつかって死んでしまったからです。農家の本家の嫁として、厳しい姑(僕のヒイバァちゃん)の元で、女でひとつで子供を育て、親父が12歳の時に太平洋戦争が始まるし、オヤジたちは高校に行かせてもらってるし、考えただけで、たいへんだったと思います。

でも、僕の知っている、とくバァちゃんはすごく明るい人で、オヤジが言うには、歌ったり、ハーモニカを吹いたり、オルガンを弾いたりするのが好きだったようです。若い時に苦労した分、晩年は老人ホームで、編み物、手芸、書道に、水彩画を描いて、のんびりと余生を過ごしたようです。上の写真は、とくバァちゃんが描いたものです。

息子たちで生きているのは、次男のオヤジと五男のオジさんだけで、喪主は長男の息子(僕の従兄弟)で、「長生きして、ポックリ死にたいと言う希望通りの人生でした」と、お別れの挨拶をしました。生前、角膜を寄付することを決めていて、最後の最後にも、人のためになることをしたバァちゃんでした。

長寿

そして、もうひとつ。香典返しには、小さなご祝儀袋が付いていました。中身は五円玉だそうです。バァちゃんにあやかって長生きできるように、袋のまま、財布の中に入れておくことにしました。

葬儀も無事終わり、帰り道はエディット・ピアフの「バラ色の人生」を聴きながら帰ってきました。この歌は1946年の録音なので、バァちゃんが37歳の時のシャンソンです。恋する女心を歌ったもので、ちょっと哀愁があり、でも、バァちゃんの安らかの寝顔から、バァちゃんの人生を表すタイトルだなって、思いました。

(つい最近買ったCD、これもバァちゃんの力だな)